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  5.「は」について

5.1 これまでの「は」のまとめ 5.2 ハ・ガ文 5.3 主題化 5.4 副題のハ           5.5 ハ・ガの省略 5.6 主題を示す助詞 補説§5 5.2 ハ・ガ文   [Aの型:ハ・ガ述語][Bの型:NのN][ハ・ガ文の動詞文][その他のハ・ガ文] 5.3 主題化 5.3.1 主題と文の性質 5.3.2 品定め文 5.3.3 物語り文 [無題文][主題になる名詞][補語の主題化] 5.3.4 主題の機能 5.6 主題を示す助詞 [Nなら][Nって][Nったら][Nといえば] 補説§5  §5.1 先行研究紹介  §5.2 「は」と「が」の基本  §5.3 「が」と「は」の話  §5.4 「主語」という用語について

5.1 これまでの「は」のまとめ

これまで「は」について繰り返し述べてきました。それは「は」が日本語の文法 の中で非常に重要な位置を占めるからです。それを、これから詳しく考えてみます。 まず、これまでの「は」に関する説明を復習し、まとめておきましょう。  「0.はじめに」では、次のことを述べました。   檻   日本語の文の基本的な構造として、「補語−述語」という見方のほかに、   「主題−解説」という分析のしかたがあること   檻   動詞文を例にして、ある事実を述べた文と、それを受けて話を進める文と  いう形で文が連続して行く、そのつながり方を示す一つの方法として、    「主題」というものが使われること   檻   日本語の文は主題のある「主題文」と、主題のない「無題文」に分けられ   ること  次に、「2.名詞文」で、名詞文の「ハとガ」の使い方を次のように説明しました。  ◆檻   名詞文には、 a.AはBです (私は田中です) b.BはAです (田中は私です)   の二つの型があること  ◆檻   「が」を使った文、 c.AがBです (私が田中です=田中は私です)   は、bの型に結びつけられること  ◆檻   「情報の焦点:言いたいこと、聞きたいことの中心」は「は」の後ろ、
 「が」の前の名詞にあること  ◆檻   疑問語は当然その焦点に来る。つまり「Q+は」はありえず、「Q+が」   であること  ◆檻   名詞文は基本的に主題文であること ◆治   「AはBがCです」という型の文、つまり一つの文に「ハとガ」   が共存する文があること 「3.形容詞文」では、名詞文との違いに重点を置きました。  −1   名詞文と同じような、主題文に関する「ハとガ」の使い分けのほかに、「現 象文」の「が」というものがあり、「中立のガ」と呼ぶこと      夕日がきれいですね。   なお、この「が」は特に焦点を示しません。  −2   「AはBが〜」の型の文が(名詞文よりも)ごくふつうに使われ、その中   に二つの型があること 私はくだものが好きです。(「くだもの」は「好きだ」の対象) 私は頭が悪いです。(「頭」は「私」の部分。「悪い」の主体)   これらの「が」も特に焦点を示しません。疑問の焦点・答えの焦点となっ   たりした場合は別です。 「4. 動詞文」では、次のことを述べました。  ぁ檻   「中立のガ」を使った「現象文」が状況をそのまま述べることによって、   場面を設定すること  ぁ檻   「中立のガ」でない、疑問の焦点となるような排他的な「が」を「指定の   ガ」と呼ぶこと  ぁ檻  「主題」になるのは主体のNだけではなく、場所も主題となること      新聞はそこにあります。      ここには中国の新聞もあります。  ぁ檻   動詞文の中にも、「対象」の「Nが」をとるものがあり、「AはBがV」  の形の文になること  なお、以上に述べてきた「は」は、すべて名詞句かそれに助詞のついた形、 つまり補語につく「は」に関することです。副詞や数量詞、また動詞についたり する「は」は、「副助詞のハ」とします。副助詞の「は」は、主題を示す「は」とは 一応別のものと考えることにします。(→「18.副助詞」)

5.2 ハ・ガ文のまとめ

 さて、以上の名詞文・形容詞文・動詞文の「ハとガ」に関するまとめの中に 繰り返し出てきた「ハ・ガ文」についてまとめておきましょう。「ハ・ガ文」とは、 「AはBが〜」の形の文、つまり一つの述語に「Nは」と「Nが」の両方がこの 順で使われている文のことです。当然、主題文です。 「ハ・ガ」文は「Nは」と「Nが」の二つの名詞の関係の違いによって、次の A・B二つの型に分けられます。 A 1 私は彼女が好きです。 2 あなたは中国語ができますか。 B 3 あの人は奥さんが外国人です。 4 象は鼻が長いです。 5 鼻は、象が長いです。(耳は、ウサギが長いです。)

[Aの型:ハ・ガ述語]

Aの型は、例1・2のように、ハ・ガの型をとるのがふつうであるような述語、 つまり「Nが」を補語としてとるような述語によるものです。形容詞と動詞です が、動詞の場合ははっきりした特徴があって、この型になるのはすべて 状態を表わす動詞です。  これらの述語は「ハ・ガ述語」と呼ばれることもあります。ふつう、初級教科書 に出てくるのは次のような述語です。 動詞 できる、わかる、ある(所有)、要る  ナ形容詞 すきだ、きらいだ、じょうずだ、へただ、とくいだ、 にがてだ、ひつようだ イ形容詞 ほしい 感情・感覚形容詞(楽しい・まぶしい)     可能動詞(読める・食べられる →「25.3 可能」)  V−たい(食べたい →「37.希望」) これらの述語の「Nが」は、ふつうの他動詞の「Nを」と性質が近いものと見なし て、「対象」とします。 私はこの問題がわかります。 私はこの問題を知っています。 彼は音楽が好きです。 彼は音楽を好みますか。  「好む」はふつうの話しことばではあまり使われないので、初級では出てきません。 そのかわりに「好きだ」のほうがよく使われます。 感情形容詞は、初級ではこの「ハ・ガ」の形では出されないことが多いようです。 対象をとらず、たんに 私はとても楽しかったです。 のようにするか、あるいはその対象を主体にして、 その会はとても楽しかったです。 のような形で出されます。  実際に使われる感覚形容詞の「Nが」は、多くの場合「対象」ではなく「部分」で、 次のBの型に入ります。      私は足が痛いです。(私の足) ただし、次のような例は、Aの「対象」の例です。      私はそのライトがまぶしかった。 「私には〜」とすると、次の「私に」の「主題化」と見なされます。      そのライトが私にまぶしかった      私にはそのライトがまぶしかった。

[Bの型:NのN]

Bの型は3と4の例のように、「Nが」の名詞が「Nは」の名詞に何か密接な関係 のある名詞、例えば体の部分や持ち物、家族などである場合です。形容詞の文に 非常に多く見られる型です。例5は「象の鼻」の「鼻」のほうが取り出された場合です。 これも意外によくある形です。 B型の「ハ・ガ」文は、上のA型の場合のような、他動詞の「ヲ」に当たるものでは ありません。「NはNが」の関係は、多く「NのNは」に言いかえることができます。 あの人の奥さんは外国人です。(←3) 象の鼻は長いです。(←4) もちろん、言い表されていることは少し違います。例3・4と、これらの違いは何を主題 としているかの違いです。例3は「あの人」について「奥さんが外国人だ」と述べていま すが、こちらは「あの人の奥さん」が主題です。動詞文の例を付け加えておきます。      彼は、奥さんが入院しています。      彼の奥さんは入院しています。  例5の類例(「AのB」のBが取り出された例)をもう一つ。      S社の英和辞書はいいです。      S社は英和辞書がいいです。(ドイツ語の辞書はよくないです。)      英和辞書はS社がいいです。(T社はよくないです。) かっこの中は、頭の中でされる事柄の例です。 一口に「は・が文」と言っても、以上のように、A型とB型をはっきり区別することが大切 です。A型は、「NのN」にはなりません。     ×私の足は痛いです。     ×あなたの中国語はできますか。  また、次の例は属性形容詞で名詞同士は「彼の足」の関係ですが、「足が速い」全体で 「彼」の属性を述べている(特徴づけている)ので、「彼の足は〜」とは言いにくくなります。 つまり、Aの型の例外です。      彼は足が速いです。     ?彼の足は速いです。 名詞文の場合は、A型つまり「Nが」が名詞述語の「対象」になるという型はありませ んが、前に述べたように、同じ「NのNは」でも述語の名詞に関係するものがあります。 a あの人は仕事が生きがいです。 b あの人の生きがいは仕事です。 a あの投手は速球が武器です。 b あの投手の武器は速球です。  aの「は・が文」は、bのように言うこともできます。もちろんそうすると主題が違います。 このような文型になる述語名詞は、主題となる「Nは」の名詞の、「重要な側面を表す」 ような名詞に限られます。(その中で「名詞節+が」となれるものは「57.2.11」に例があり ます)

[ハ・ガ文の動詞文]

さて、「は・が文」の中の動詞文は、「Nは」を持つ主題文であるという点で、一般の動詞 文とは違った性質を持っています。A型の動詞文の文頭の「Nは」は、名詞文や形容詞文 の「Nは」と同様に、「Nが」にすると、「ほかのNでなく、このNが」という意味をもちます。 あの人が英語がわかります。      彼女は子どもが二人あります。  これらの動詞は状態動詞です。時間の長さに関わらない、ある状態を表します。同じ 「ある」でも、一定の時間内の存在を表す「ある」ではなく、時間に縛られない、所有を表 す「ある」です。 また、これらの動詞はもともと「に」をとるものです。したがって、「〜には」の形にもなり ますが、初めは「〜は〜が」の形で教えるのがふつうです。 複文の中の従属節になったり、文末が否定になったりすると、この「に」が出やすくなります。 あの人に英語がわかるとは思えません。 私には何もできません。

[その他のハ・ガ文] 

上に述べたA・B二つのハ・ガ文のほかに、「NはNが」の形をした文があ ります。 1 この絵は私が自分で描きました。 2 この先生は私が英語を習った先生です。 3 彼は私が来たので喜んでいました。 例1の文は、「私が絵を〜」の「絵を」が「主題化」によって「絵は」になり、文頭に移動 したものです。主題化についてはすぐ後で少し考えます。  「主題化」とは考えにくい、次のような例もあります。 4 このにおいは、ガスがもれていますね。 「ガスのにおい」ではあるのですが、       ?ガスのにおいがもれていますね。 というのも不自然です。「料理のにおい」ならもれてきてもいいのですが、「ガスのにおい がもれる」とはすなわち「ガスがもれる」ことですから。 例2の文は、「複文」で、 [この先生は[私が英語を習った]先生です] のような構造を持った文と考えられます。これも「基本述語型」の中の「ハ・ガ文」とは別の ものです。例3も同様で、 [彼は[私が来たので]喜んでいました] のように考えられます。これらは「複文」の中で扱います。

5.3 主題化

5.3.1 主題と文の性質

 さて、これまでどんな文型に「は」が使われるかをもう一度振り返ります。  まず、名詞文と形容詞文は、      Nは 〜です。 の形が基本であること。そして、ある条件の下で「Nが」が使われること。  動詞文では、      Nは/が 〜ます。 の形、つまり「は」「が」が半々であり、そこで、動詞文ではどんな場合に「は」が使われる のかが問題になるということ。  さらに、「ハ・ガ文」という、一つの文の中で「は」「が」両方が使われ、基本的に主題文 である文が、動詞文・形容詞文・名詞文を通して存在することを述べてきました。  ここで、「は」が使われるのはどのような文であるのかということを、述語の品詞ではなく、 その文がどのようなことを表しているのかということから考えてみましょう。  主題文は、主題について「あることを述べる」文ですが、その述べ方に2種類あります。 特殊な用語ですが、「品定め文」と「物語り文」と言います。

5.3.2 品定め文

 一つは、あるものが持っている性質・特徴などを述べる文です。名詞文と、「現象文」 以外の形容詞文はこれです。      これは私の本です。      私の家はあれです。      田中さんは背が高いです。      私は、今、暇です。  名詞文・形容詞文は、あるものの状態・性質、他のものとの関係などを述べます。つまり、 あらかじめ話し手の頭の中に、あるものが思い浮かべられ、それについて何かを述べる文 です。ですから、主題を持つのが当然のことになります。ただし、形容詞文の「現象文」は 別です。   また、動詞文の中にも同じタイプの文があります。      彼女は中国語ができます/わかります。      海水は一定量の塩分を含みます。      彼は私の従兄弟に当たります。  次のような「V−ている」の文も同じと言えます。      地球は太陽のまわりをまわっている。      この椅子は足が折れている。  以上のような文を、ちょっと古い言い方ですが、「品定め」をする文、「品定め文」と呼びます。  品定め文は、基本的に主体を「Nは」で表す主題文です。この主体を「Nが」にすると、「他 のNでなく、このNだけ」という意味合いをもちます。      これが私の本です。      私の家があれです。      田中さんが健康です。      私が、今、暇です。  動詞文の場合も同じです。      彼女が中国語ができます/わかります。      海水が一定量の塩分を含みます。      彼が私の従兄弟に当たります。      地球が太陽のまわりをまわっている。      この椅子が足が折れている。

5.3.3 物語り文

 もう一つの主題文は、ある時に始まり、ある時に終わることが前提とされているような 事柄を表す文で、動詞文の主題文の多くがこれです。「物語り文」と呼ばれます。      中島さんはあそこにいます。 田中さんはさっき帰りました。 あの人たちは9時まで残業します。      鍵はこの引き出しにあります。  「いる」は状態(存在)を表しますが、「食堂はあそこだ」などに比べれば、時間的限定 があると考えられます。  動詞文は動きを描写するのが本来のはたらきです。事実そのものを描写しようとすれば、 無題文になります。その中のある名詞(多くは主体)について何かを述べれば、主題文に なります。

[無題文]

 動詞文の「Nが」の主体の文、つまり無題文も同じグループになります。指定の「が」 以外の「Nが」の主体の文は物語り文です。  物事の進行を表す「V−ている」や、存在を表す「ある・いる」、一時的な状態を表す 形容詞文(現象文)などは、「時間の幅のある」表現ですが、瞬間的な動きを表す動詞 文や、その他の一般的な動詞文とともにこちらのグループに入ります。性質を表して いるわけではないからです。      雨が降っています。      西の空が真っ赤です。  文を大きく二つに分けて、品定め文と物語り文とするというのは、直接的には「は」と 「が」の使い分けを説明するのに便利だということもありますが、その前に、そもそも 人間が言語を使ってあることを述べようとするとき、その叙述のしかたとして、この二つ のとらえ方というのが考えられるのではないか、という面もあります。 つまり、この二分法は日本語に限るものではなく、言語一般に言えることではないか、 と考えられます。 それが、その言語の中ではっきりとした形式上の区別に現れるかどうか(専門的な言い 方では「文法化」されているかどうか、と言います)は別として、ですが。

[主題になる名詞]

 次に、どのような名詞が主題になりうるか考えてみましょう。「0.はじめに」で述べた ように、文脈、話の流れの中で既に出ている名詞は、「は」で受けられます。      きのう火事があった。その火事は、・・・。  それから、名詞文のところでも述べたように、話し手と聞き手、話の現場にある物、 などは「Nは」の形になりやすいものです。      私は、・・・。これは、・・・。  また、話し手と聞き手の共通の知識となっている人、物なども主題として「は」をつけ ることができます。      (部屋に入ってきて)こんにちは。田中さんは来ていますか。  それに、当然知っているだろうと思われるような社会的な常識に類する事柄。      ハンガリーの首都は何と言ったっけ。  これらのことをひっくるめて言えば、すべて話し手と聞き手が、その名詞のことを共通 に知っているような名詞です。 そのような名詞を主題としてたてて、それについてあることを述べるのが主題文です。

[補語の主題化]

 物語り文は、無題文と主題文に分かれます。この主題文は、品定め文のように性質や 特徴を述べる文ではなく、発話の場面あるいは文脈の中で出ている名詞を取り上げて 主題とし、その状態や動きを描写したものです。そこで、例えば、物語り文の主体「Nが」 を主題「Nは」とすることを「主題化」と言うわけです。 この「は」と「が」の違いについては、名詞文・形容詞文・動詞文のそれぞれの所で述 べてきました。名詞文・形容詞文では、「は」のある主題文が基本です。「が」は多少とも 特別な場合に使われます。  しかし、動詞文ではそうではありません。むしろ、「が」の使われている無題文の方が 基本で、主題文は無題文のある補語を「主題化」したものだ、と考えるのがふつうです。 補語を主題として取り上げることを「主題化」ということは、存在文のところでほんの少 し触れました。例えば、 「部屋の真ん中に机があります」 「机の上には何がありますか」 の後の文の「机の上には」は、前の文で「机」が出され、それから連想される「机の上」 が後の文の主題として取り上げられたものです。このことを、場所を表わす補語「机の 上に」が「主題化」されたと言います。 他の補語、「Nが」や「Nを・Nへ」なども主題化できます。というより、これまで動詞文 で「ハとガ」の問題として説明してきたことは、「Nが」の主題化の問題だったのです。 「Nが」が主題化されると、「が」が消えて「は」になるわけです。上の例の「には」とは 違って、「×がは」とはなりません。 「を」も消えます。 「そこの箱を片付けてください」 「この箱はどこに置きますか」(×この箱をは) の後の文の「この箱は」は、「(私は)どこにこの箱を置きますか」の「この箱を」が主題 化されたものです。 次の例は、「〜は〜が」の形になっていますが、 この絵は私が自分で描きました。 これは「この絵を」の主題化です。(私がこの絵を描きました) 他の格助詞「へ・から・まで・で・と」では、格助詞のあとに「は」が付けられます。 郵便局へは行きました。銀行へは行きませんでした。 京都からは田中さんが来ました。 イギリスまではちょっと遠いです。 この店では日本語の教科書も扱います。 あの人とはあまり親しくないです。  

5.3.4 主題の機能

では、このような(動詞文の)主題化はいったい何のためになされるのでしょうか。 それを考えてみましょう。  初級のはじめの頃の会話を例に考えてみましょう。話し手と聞き手について、身の 回りの物・人について、あるいは、日時や天候について、ほとんどが主題文を連ねて 会話が進行します。      「田中さん、あの人は誰ですか。」      「え?どの人ですか。」      「あの、青いシャツの人ですよ。」      「ああ、あれは岡野さんです。出版社の社長さんです。加藤さんの知り合いですよ。」      「はあ、そうですか。」      「このケーキはおいしいですねえ。もう食べてみましたか。」      「いえ、まだです。」  主題の省略があるので、「Nは」のない文も多いですが、「そうですか」のようなものを のぞけば、みな主題文です。      「こんにちは。お元気ですか。」      「ああ、こんにちは。いい天気ですね。」      「最近、忙しいですか。」      「ええ、年末は忙しいですね。」  会話は、基本的には情報のやりとりです。あいさつの後は、疑問文を使って相手 から情報を引き出したり、それに答えて相手に情報を与えたりします。  一方、無題文は新たな文脈を作り出します。上の会話の続きです。      「昨日、佐藤さんから電話がありました。」      「へえ、ひさしぶりですね。」      「先月、病気で入院したそうですよ。」  「佐藤さん」が主題化されて、この後の話題の中心になっていきます。  「は」の役割は、ある名詞を主題として取り上げ、それについて何かを述べること、 話の流れの中でその流れを続けるか、あるいはその場にあるものを取り上げて、話 の流れに新たに乗せること、とでも言えばいいでしょうか。そうすることによって、話 がこま切れの文の単なる集まりではなく、まとまりを持ったものになるのです。  他の「Nへ」「Nに」「Nで」「Nから」「Nより」などの主題化も基本的には同じことが 言えます。 それに対して、「が」の役割は、物事をそのまま描写して、新たな場面を提示する ことにあります。少し強く言えば、話の流れを切る、あるいは転じる働きがあります。 話の初めに「が」の文が使われると、その状況の描写になり、そこから新たに主題を 作るきっかけになります。 この「話の流れ」ということについては、「61.情報のつながり」でもう一度とりあげる ことにします。  では、品定め文の場合、主題文であることはどういう役割をもつのでしょうか。 動詞文での「は」と「が」の対立は、話の流れの中で重要な役割がありました。 名詞文などの主題文は、その話の流れの中でその主題となる名詞について、 話の流れとは少し離れて注釈をつけるような役割を果たしたりします。 このことも「61.情報のつながり」で述べることにします。   「主題−解説」の文は、大きく二つに分けられます。                     主題 − 解説          それに対して、無題文は全体が一つのまとまりとなっています。             あることの記述      

5.4 副題の「は」

 さて、これまでは一つの文の中に一つの「は」しか出てこない例だけを扱ってき ました。実際には一文の中に二つ以上の「は」が使われることは珍しくありません。 その場合について考えて見ましょう。      私は日本酒はよく飲みます。      (私は)ウイスキーはあまり飲みません。      私はお酒はきらいです。  このような文、一つの述語が「Nは」の形の二つの補語を取っているような文で、 二つめの「Nは」を「副題」と呼びます。ふつうは主体の名詞が「主題」となり、その 他の名詞が「副題」となります。副題は「対比」の意味合いが強くなります。  主題は話の流れの中で、それについて何か述べるために取り上げられた名詞で すが、その意味では副題のほうが話の中心になります。いわば、「話題」となります。  例えば、      私はウイスキーはあまり飲みません。 という文は、「私」について、「ウイスキーをあまり飲まないこと」を述べた文ですが、 また一方では、「ウイスキー」について、「私があまり飲まないこと」を述べた文でも あります。どちらが話の流れの中心にあるかといえば、ふつうは後者でしょう。「私」 が他の誰かと対比されて、それについて述べるよりも、「ウイスキー」が他の飲み物 と対比されて、それについて語られている文脈で多く使われる文です。もちろん、 「私」を特に強く言ったり、はっきり誰かと対比される文脈にあれば別ですが。      日曜日には難しい本は読みません。      難しい本は日曜日には読みません。  「は」が二つありますが、その上に主体の「私は」が省略されていると考えると、 三つの「は」があることになります。      私は、日曜日には難しい本は読みません。 私は、難しい本は日曜日には読みません。  さて、この文はどのような文脈で使われ、何が「話題」となっているのでしょうか。      「先生のような、研究一筋の方は、日曜日にも難しい本を読んでいらっしゃる      のですか。」      「いやあ、そういう人もいるかもしれませんが、私は〜。」 という文脈を考えてみましょう。まず、「私」について述べている文です。つまり、「私」 が主題の文です。そして、「日曜日」がいちばん対比的な意味を持っています。他の 日に「難しい本を読む」のは前提となっています。言い換えると、「〜ません」という否 定の焦点になっているのは、「日曜日には」です。「日曜日には〜ません」がこの文の 伝えたいことで、何が「〜ません」なのかというと、「私が難しい本を読むこと」です。 「日曜日には軽い本を読む(難しい本は読まない)」ということもあるでしょうが、それは この質問者の聞きたいことではないでしょう。  また、次のような文、二つの節が構造的に対比されていて、それぞれの「Nは」が主題 と見なせる文もあります。      雨は降っていますが、雪は降っていません。  この場合は「雨と雪」がセットになっていて、一つの主題となっていると考えるべきでしょう。      「太郎と花子はそれからどうなりましたか。」      「太郎は小説家に(なりましたが)、花子は画家になりました。」  初めの文で「太郎と花子」が主題だったのですから、答えの文でも「太郎」と「花子」の どちらも主題だと考えるのが一貫した説明になります。  「雨と雪」の例で、これらの「は」は「対照」という用法で、「主題」ではない、とする分析 がありますが、(そして、比較的有力なようですが、)感心しません。  形容詞文の「Nに」や「Nと」などに「は」がつくことがあります。      あの先生は若い女性にはやさしい。  この「には」も「副題のハ」です。

 5.5 ハの省略   

 話しことばでは、「は・が・を・へ」などの助詞が省略されることがよくあります。      「太郎、どこ行った?」「学校行ったよ」      「雨、降ってきたよ」「あ、洗濯物しまわなくちゃ!」 それぞれ、「太郎は」「学校へ」「雨が」「洗濯物を」の助詞が省略されたものと考え られます。  このような、容易に助詞を推定できる場合はいいのですが、特に「は」も 「が」も入 れにくい場合があり、文法研究の問題点となります。  例えば、      はさみ、ある?      この店、おいしいんだ。 ぼく、さびしいな。 などの例では、「が」はもちろん「は」も入りにくく、入れると微妙に意味合いが変わって しまいます。  難しい問題ですが、いちおう「は」の省略として考えておきます。

5.6 主題を示す助詞 

 「は」以外にも主題を示すとされる助詞があります。以下でそれをかんたんに見てみます。

[Nなら]

相手のことばや状況を受けて、ある名詞を主題にとりあげます。  条件表現の「Nなら」と隣り合わせの表現です。「は」でも言えますが、そうすると、相手 の言葉を受けているという面が弱くなります。      「田中さんはどこですか」「田中さんなら、食堂ですよ」      この問題なら、私に任せて下さい。

[Nって]

 かなりくだけた話しことばに限られます。「〜というのは」と言い換えられます。 つまり、「は」にかなり近く、それに「という」が加わります。「という」の「知らないもの の解説をする/求める」という意味合いがかぶさる場合があります。また、よく知ら れているものを、改めてとりあげて注目させる、という面もあります。 漢字って、面白いものですね。 佐藤さんて、変な人ね。      この、「主題化」って、どういう意味ですか。 僕って何?  「僕は何?」とは言いにくいでしょう。これは、「僕」というわかりきっているはずの ことばを改めてとりあげるために「という」の意味合いを利用しているのでしょう。

[Nったら]

これも話しことばに限られます。事柄の意外性と、その主体にたいする軽い非難 などの気持ちがあります。      幸子ったら、野菜は食べないんだ。      弘ったらこんなこと言うんだよ。 

[Nといえば]

   少し硬い言い方です。文脈に登場した事柄をとりあげて、新しく話題にする場合に 使われます。 佐藤さんと言えば、まだジョギングやっているかなあ。      加藤さんと言えば、お嬢さんはもう高校卒業だね。  以上の助詞は、「は」と違って、主題を示すために一般的に使われる助詞ではあり ません。それぞれ何らかの意味合いがあり、使用範囲が狭められるためです。 補説§5へ

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三上章 1953『現代語法序説』刀江書院(復刊 1972 くろしお出版) 三上章 1955『現代語法新説』刀江書院(復刊 1972 くろしお出版) 三上章 1959『新訂現代語法序説』刀江書院(『続現代語法序説』と改題して復刊 1972 くろしお出版) 三上章 1960『象は鼻が長い』くろしお出版 三上章 1963『日本語の論理』くろしお出版            野田尚史 1985『セルフマスターシリーズ1 はとが』くろしお出版 野田尚史 1996『「は」と「が」』くろしお出版  益岡隆志他編 1995『日本語の主題と取り立て』くろしお出版 寺村秀夫編 1987『ケーススタディ 日本文法』桜楓社        鈴木忍 1978『教師用日本語教育ハンドブック 文法機拗餾欷鯲基金    野田尚史2002「主語と主題−複合的な概念である「主語」の解体に向けて」『日本語学』5月号別冊明治書院 市川保子1989?「取り立て助詞「ハ」の誤用−談話レベルの誤用を中心に−」は『日本語教育』67 天野みどり2001「格助詞−主格表示と焦点表示」『国文学』2001.10学燈社 青木伶子1992「格成分と関わる用法」『現代語助詞「は」の構文論的研究』第二章 笠間書院 青山文啓2000「日本語の主語をめぐる問題」『日本語学』4月臨時増刊号明治書院 天野みどり1990「複主格文考−複主格文の意味と、成立にかかわる意味的制約−」『日本語学』5月号明治書院 天野みどり1992「二つの補充成分間の意味的関係づけ−経験的間接関与構文、特に複主格文を中心として」『人文科学研究』80新潟大学人文学部 天野みどり1995「「が」による倒置指定文−「特におすすめなのがこれです」という文について−」『人文科学研究』88新潟大学人文学部 天野みどり1995「後項焦点の「AがBだ」文」『人文科学研究』89新潟大学人文学部 庵功雄1997「「は」と「が」の選択に関わる一要因−定情報名詞句のマーカーの選択要因との相関からの考察−」『国語学』188 市川保子 「取り立て助詞「ハ」の対比の条件−「花子がコップは割った。」は何故おかしいか−」 大谷博美1995「ハとヲとφ」宮島他編『類義上』くろしお出版 大谷博美1995「ハとガとφ」宮島他編『類義上』くろしお出版 大槻邦敏「「は」と「が」のつかいわけ」『教育国語』むぎ書房 小野正樹1996「主題化システムの計量的実験」『計量国語学』20巻6号 尾上圭介1981「「は」の係助詞性と表現的機能」『国語と国文学』 尾上圭介1985「主語・主格・主題」『日本語学』10月号明治書院 尾上圭介+西村義樹1997「国語学と認知言語学の対話 主語をめぐって−」『言語』11月号大修館 尾上圭介1997「文法を考える1 主語(1)」『日本語学』10月号明治書院 重見一行1992「「は」文の情報的性格をめぐって」『国語国文』61巻11号 上林洋二1988「措定文と指定文−ハとガの一面−」『文藝言語研究 言語篇』14筑波大学 菊地康人1995「「は」構文の概観」『日本語の主題と取り立て』くろしお出版 菊地康人1996「「XがYがZ」文の整理−「XはYがZ」文との関連から−」『東京大学留学生センター紀要』6 菊地康人1997「「カキ料理は広島が本場だ」構文の成立条件」『日本語教育学科紀要』7広島大学教育学部 菊地康人1997「「が」の用法の概観」『日本語文法 体系と方法』ひつじ書房 楠本徹也1993「働きかけのモダリティーによるガ格句の焦点化現象」『東京外国語大学留学生日本語教育センター論集』19 楠本徹也1998「Zero Particle and Its Thematic Function」『東京外国語大学留学生日本語教育センター論集』24 熊本千秋1989「指定と同定−「・・・のが・・・だ」の解釈をめぐって−」『英語学の視点』 坂原茂1990「役割、ガ・ハ、ウナギ文」『認知科学の発展』講談社 柴谷方良1978「主語と題目」『日本語の分析−生成文法の方法−』第4章大修館書店 柴谷方良1985「主語プロトタイプ論」『日本語学』4月号明治書院 柴谷方良1990「助詞の意味と機能について−「は」と「が」を中心に−」『文法と意味の間』くろしお出版 清水佳子1995「NPハ」と「φ(NPハ)」宮島他編『類義下』くろしお出版 杉本武2000「無助詞格のタイプについて」『文藝言語研究言語篇』38筑波大学 鈴木重幸「主語論の問題点」 砂川有里子1996「日本語コピュラ文の類型と機能−記述文と同定文−」 砂川有里子「日本語コピュラ文の談話機能と語順の原理−「AがBだ」と「AのがBだ」構文をめぐって」 高梨信乃1995「非節的Xナラについて『複文の研究(上)』くろしお出版 田中俊子1990「モダリティの観点から見た主題のハと主格のガ」『東北大学日本語教育研究論集』5 西山佑司1985「措定文、指定文、同定文の区別をめぐって」『慶応義塾大学言語文化研究所紀要』17 仁田義雄1985「主格の優位性−伝達のムードによる主格の人称指定−」『日本語学』10月号明治書院 丹羽哲也1999「主題文の性格と「は」の使用条件について」『人文研究』第51巻第五分冊大阪市立大学文学部 丹羽哲也 2000「主題の構造と諸形式」 『日本語学』4月臨時増刊号明治書院 丹羽哲也「無助詞格の機能−主題と格と語順−」 丹羽哲也「有題文と無題文、現象(描写)文、助詞「が」の問題(上)」 野田尚史1982「「カキ料理は広島が本場だ」構文について」『待兼山論叢 日本学篇』15 p.45-p.66 大阪大学文学部 野田尚史1994「日本語とスペイン語の主題化」『言語研究』105 野田尚史2001「うなぎ文という幻想−省略と「だ」の新しい研究を目指して」『国文学 解釈と教材の研究』2月号学燈社 藤原雅憲「助詞省略の語用論的分析」 三尾砂1965「主語・総主・題目語・対象語」『口語文法講座2各論研究編』明治書院 南不二男「『主語』の周辺」 三原健一1990「多重主格構文をめぐって」『日本語学』8月号明治書院 薬進1988「「ぼくはうなぎだ」型の文を考える−主題の隠形化−」『日本語学』6月号明治書院 吉本啓1993「日本語の文階層構造と主題・焦点・時制」『言語研究』103 吉本啓「「は」と「が」−それぞれの機能するレベルの違いに注目して−『言語研究』81 渡瀬嘉朗1983「「核」主導型の統辞機能(その2)−「が」再論−」『東京外国語大学論集』33 S.-Y. Kuroda「Cognitive and Syntactic Bases of Topicalized and Nontopicalized Sentences in Japanese」 田坂敦子1996「「は」と否定のスコープ・否定の焦点」『言語科学研究』2 神田外語大学 大門正幸1993「「総記」の解釈について」『日本語教育』80 主要目次へ