主要目次へ

night
day

ホーム文法庭三郎


                                                                      
 

  57.名 詞 節

    57.1 概観 57.2 「〜の」と「〜こと」:述語の種類 57.3 V−ところ 57.4 「〜か(どうか)」:疑問節          57.5 「〜のは/のが 〜だ」:強調構文          [補説§57] 57.1 概観   [ノとコト][名詞節をとる述語とは][トコロ][疑問節][名詞節を受ける形式]   [「という」の挿入] 57.2 コトとノ:述語の分類   A複合述語として扱ったもの B動詞 C形容詞を中心に D名詞文 57.2.1 固定化した複合述語 57.2.2 ハ・ガ文のナ形容詞 57.2.3 思考・言語関係の動詞  57.2.4 認識・態度の動詞 57.2.5 感覚を表す動詞 57.2.6 「現場性」の動詞   「の/こと」両方とれる動詞 57.2.7 名詞節を二つとる動詞  57.2.8 動詞に支配されない名詞節   57.2.9 感情形容詞 57.2.10 判断・評価・難易など   [真偽][評価][連体節と名詞節][「Nに]をとる形容詞][難易][文副詞との関係] 57.2.11 名詞節を含む名詞文    [名詞文の二つの型][名詞節の場合]―匕譴箸覆詭昌貔甅¬昌貔瓩鮗ける名詞述語   どちらも名詞節の場合い匹舛蕕が[連体節+こと」である場合 57.2.12 〜トイウ/ヨウナ コト/ノ 57.3 V−トコロ 57.4 〜カ(ドウカ) [AカBカ] 57.5 強調構文:〜ノハ/ガ〜ダ    [〜ノガNダ]  [補説§57]   §57.1 工藤真由美「ノとコト」

57.1 概観

基本述語型の名詞のところに「(補語+)述語」が入るものを名詞節といいま す。  基本述語型の名詞の後には助詞がついて補語になるわけですが、名詞節の述 語のすぐ後に助詞がつくことはまれで、「の」か「こと」が間に入って述語と 助詞をつなぐのがふつうです。 基本述語型の述語はいろいろな補語をとりますが、ある種の補語をとりうる 述語は限られています。それと同じように、名詞節をとりうる述語も限られて います。また、主節の述語の種類によって、名詞節の中の述語に対する制限も 違ってきます。  具体的な例を見てみましょう。 1 私の仕事は[日本語を外国人に教えること]です。 2 ここから[学生が野球をしているの]が見えます。 3 事務の人が廊下で[授業が終るの]を待っています。 4 私は、その時まで[彼女が来たこと]に気が付きませんでした。    5 おばあさんが[浦島太郎が亀を助けたこと]を話した。    6 私の仕事は日本語教師です。    7 ここから学生の野球が見えます。    8 事務の人が廊下で先生を待っています。    9 私はその時まで彼女に気がつきませんでした。    10 おばあさんが昔話を話した。  例1から例5は、それぞれ例6から例10の名詞が入っているところに「補語 +述語(+こと/の)」つまり「節」が入っています。述語、「Nが」「Nを」 「Nに」の代わりに名詞節が入り、複雑な文になっています。

[ノとコト]

 述語を含んだ節を名詞扱いするために、名詞節の中の述語につける要素とし て「の」と「こと」のどちらを使うかは、主節の述語によって違います。  例1の場合、「名詞節+です」で名詞述語になっています。この「こと」を 「の」にすると、不自然な文になります。無理に解釈すれば、複合述語の「〜 のです」とみなすことになります。 ? 私の仕事は日本語を外国人に教えるのです。  例2、例3は「こと」では言えません。例4は「の」も使えます。 ×ここから学生が野球をしていることが見えます。 ×事務の人が廊下で授業が終ることを待っています。 私はその時まで彼が来たのに気が付きませんでした。  例5では「の」が不自然になります。     ×太郎が亀を助けたのを話した。  学習者はこの「の」と「こと」の使い分けをを覚えなければなりません。  この使い分けはばらばらなものではなく、それによって述語を分類すること ができます。学習者はその分類を覚えれば、ある程度は予想ができます。  また、名詞節の述語の形を見ると、例4と例5だけが過去になっています。 それに対して、例えば例1の「教える」を過去にすることはできません。     ×私の仕事は日本語を外国人に教えたことです。  同様に、名詞節の述語が否定の形でもいいものと、ダメなものがあります。      教育の秘訣は、教えすぎないことです。     ?ここから学生が野球をやっていないのが見えます。      私は、彼がいなくなったのに気がつきました。  こういう制限については、後で述語のグループ分けをしながら見ていくこと にします。  もう一つ、例1では名詞節の中に「Nが」が入りません。他の例では入って います。  つまり、主体を必要とする名詞節とそうでない名詞節があります。このよう なこともそれぞれの名詞節の重要な特徴です。     ×私の仕事は私が外国人に日本語を教えることです。

[名詞節をとる述語とは]

名詞の位置に節が入るといっても、どんな述語でも名詞節をとれるわけでは ありません。名詞節をとれる述語ととれない述語の違いとは、具体的には次の ようなことです。例えば、 パンを食べる の「パン」のところに名詞節を入れることはできません。しかし、 テレビを見る の「テレビ」の所には節が入れられます。例えば、 昔、後楽園で王がホームランを打つのを見た。 「後楽園で王がホームランを打つ」、この文によって表わされている光景を 「見る」ことはできますから、上のような文が成り立ちます。  「パンを食べる」の場合は、「パン」のかわりに入りうるような、何か「文 に相当するもの」を考えることができません。それは、「食べる」という動詞 と「見る」という動詞の意味的な違いによります。 名詞節の中の「打つ」という動詞は、そのまま格助詞の「を」に続けて     ×打つを見る とはできないので、接着剤のような役目をする「の」がなければなりません。  「の」は述語を名詞相当のものにして、助詞につなぐ役目をします。「こと」 も「の」と同じような働きをする重要な言葉です。  「の」と「こと」のどちらが使われるかは、主節の述語によって決まってい ます。 また、「パン」のかわりに、 そこにあったのを食べた。 とすると、これは「そこにあった」+「の」で、名詞節のように見えますが、 これは実は連体節です。  「そこにあったの」全体が「パン」のかわりなのではなく、最後の「の」が 名詞に当たるのです。 そこにあったパンを食べた。 という文と比べてみると、そのことがはっきりします。この「パン」のかわり に「の」が入っているのです。      [彼女がそこにいた]の を見た。   (名詞節)      [そこにあった]パン/の を食べた。 (連体節) 名詞節の基本は「の」と「こと」によるものですが、ほかにも名詞節と考え られるものがあります。

[トコロ]

 まず、「ところ」という形式名詞によるものです。 ちょうど彼が出て行くところを見た。 「ところを見る」と言っても、具体的な場所を見るわけではありません。 彼が隠れていた所を調べた。 なら「(そこに)彼が隠れていた、その場所を調べた」と考えられ、連体節です。 「彼が出て行くところ」のほうは、ちょうどその場面・光景を見た、という ことです。「場所」の意味はありません。このような「ところ」も名詞節を形 作る要素です。

[疑問節]

もう一つは、疑問文が名詞節となったものです。 その製品の特徴を聞いた。 その製品はどんな特徴があるか(を)聞いた。 「特徴を」という補語のところに、「その製品はどんな特徴があるか」という 疑問文の形が入っています。仮に「疑問節」と呼んでおきます。  こういう節をとれるのは、「聞く」など、ある種の述語に限ります。この場 合、助詞の「を」は多くの場合省いてもよく、話しことばでは省かれることが 多くなります。疑問詞がない疑問節の場合は、 その製品は良いものかどうか(を)聞いた。 のように「かどうか」の形が入ります。

[名詞節を受ける形式]

 さて、以上はどういう述語が名詞節をとるかということでしたが、述語のほ かにも名詞節をうけるものがあります。  例えば、格助詞の「原因・理由のデ」が受ける名詞節は述語が要求している わけではありません。      双方が自分の非を認めることで、問題が解決した。 格助詞相当句の場合も同様です。      食堂の営業を停止したことに対して批判があった。

[「という」の挿入]

もう一つ、名詞節で考えなければならないことは、「という」が入れられる かどうかです。「という」は「外の関係」の連体節で問題にされることが多い のですが、名詞節でも使われます。どういうときに入れられ、その働きは何な のかという点についても考えていきます。 では、以上述べたことをもう少しくわしく見ていくことにしましょう。

57.2 「こと」と「の」:述語の分類

上で述べたように、「こと」と「の」の名詞節をとる述語は限られています。 そして、どちらをとるか、あるいは両方とも使えるか、は述語によって決まっ ています。  学習者が「こと/の」を正しく使い分けないと、誤解は起こらないにせよ、 どうも落ち着かない文になってしまいます。どちらをとるかは、述語の意味な どによってある程度予想できます。それらを分類してみましょう。

A.複合述語として扱ったもの

[1] ある、できる、する、なる  こと [2] 好きだ、嫌いだ、上手だ、下手だ、得意だ、苦手だ   こと/の 基本的に「こと」を使いますが、「の」を使えるものもあります。

B.動詞

 補語として名詞節をとる動詞にはどのようなものがあるか、その場合「の・ こと」のどちらを使うのかを見ます。 [3] 言う、話す、伝える、教える、書く、読む       こと     命令する、頼む、要求する、許す            考える、信じる、疑う、決める  [4] 知る、わかる、覚える、忘れる、思い出す       こと/の 喜ぶ、楽しむ、驚く、満足する、後悔する、ほめる [5] 見える、聞こえる、見る、聞く、感じる   の [6] 待つ、手伝う、遅れる、急ぐ、とめる         の     やめる、よす、避ける、防ぐ、急がせる        の/こと  [7] 比べる、違う、似ている、分ける、同じだ の/こと 感覚など「その場」で名詞節の内容が起こる動詞は「の」をとり、言語・思 考などの精神的な動詞は「こと」をとるものが多いです。  必須補語でない「Nで」などや格助詞相当句などが名詞節を受ける場合は、 [7]のあとで見ておきます。

C.形容詞を中心に

  [8] 悲しい、嬉しい、恐い、心配だ  こと/の [9] 確かだ、明らかだ、当然だ、事実だ、難しい、無理だ  こと/の     夢中だ、熱心だ、必要だ、大切だ、重要だ、  一般の属性形容詞は名詞節をとりません。  事柄の確かさ、可能性、重要性などを表す形容詞が名詞節をとることができ ます。  それと、感情形容詞です。感情を表す動詞もここに入れます。「こと・の」 どちらもとれるものが多いです。

D.名詞文

  [10] 〜は/が 〜だ                   こと/の  名詞文はいろいろと難しい問題がありますので、最後にとりあげます。  全体的な傾向として、抽象的な事柄は「こと」が使われ、その場面に直接関 わること・感覚的な事柄は「の」が使われます。  また、必ずどちらを使うか決まっている述語と、おもに片方を使うけれども 文脈によって他方を使うことができるもの、ほぼ同等に両方が使えるものがあ ります。  両方使えるものでは、「の」のほうが話しことばです。では、一つ一つ見て いきましょう。

57.2.1 固定化した複合述語

   ある、できる、する、なる 最初は、かなり固定化した慣用的な文型の中で「〜こと」が使われるもので す。これらの「ある」や「する」はふつうの意味とは少し違います。  初めの「ことができる」は過去・否定の形の述語をとることができません。 それ以外のものは、節の中の述語の形が現在形か過去形かによって文型の意味 が違い、二つずつ対立しています。否定の形はとることができます。  下の1と4は動詞に限られますが、他のものは形容詞・名詞述語でも成り立 ちます。 1 彼女は朝鮮語を読むことができます。(V−ことができる)   2 外国へ行ったことがありますか。(〜たことがある)    3 先生がときどき遅刻することもあります。(〜ことがある)  4 あした出発することにしました。(V−ことにする)    5 君は病気だったことにしてください。(〜ことにする) 6 私たちは秋に結婚することになりました。(〜ことになる)    7 これで一通り見たことになる(〜たことになる) これらの名詞節は、一つの慣用的な組みあわせの複合述語と考えてもよいで しょう。意味・用法については、複合述語のところでそれぞれ説明しました。 索引で探してもう一度見ておいてください。  これらの多くは、主節の述語の主体と名詞節の主体とが同じです。例えば、 例1の「アラビア語を読む」人も「〜ことができる」人も同じ「あの人」です。  けれども、「〜ことにする」だけは、節の述語の主体と複合述語の主体が違 ってもかまいません。      この金は初めからここにあったことにしましょう。 「あった」のは「この金」で、「〜ことにする」のは「私たち」です。  「という」についてみると、3から7の文型で一応使えます。  よく使われるのは5の仮想的な用法の場合と7の「まとめ」のようなことを 言う場合です。      私も会に出席したということにしておいてください。      結局、全部で20人来たということになります。  「という」が言語・思考活動の内容を示すというところから出てくる用法で しょう。  「できる」は、ふつうの能力ではなくて、次のような場合なら言えます。      上司にゴマをするということがどうもできなくて、・・・・。     あの人は小さな声で話すってことができないのかねえ。  こちらは、ことさらにそれを話題にする、というような意味合いでしょうか。

57.2.2「は・が文」のナ形容詞

   好きだ、嫌いだ、上手だ、下手だ、得意だ、苦手だ 次は「〜は〜が」述語です。前の「ある・できる」もそうでしたが、違うと ころは、「こと」だけでなく「の」もとれる点で、話しことばではむしろ「〜 の」のほうがふつうであることです。  名詞節の中の述語は意志動詞の基本形に限られ、過去形や否定形にはなりま せん。そして主体は必ず主節と一致します。  つまり、この名詞節が表すのは、個別の動作ではなく、頭の中で一般的なこ ととして概念化された動作です。初級でおなじみの文型です。   私はテレビで野球を見るの/こと がいちばん好きです。   タンさんは日本語で話すの/こと が上手(下手、苦手)です。  「という」は使うことができますが、使わない方がふつうです。      私は権力に服従するということがいちばん嫌いです。      人前で話すということがどうも苦手です。 人前で話すというのはどうも苦手です。      部下を上手に使う、ということが下手で、出世できません。  「という」の有る無しで何が違うのか、(というの)はなかなか難しい問題で す。  「5.名詞・名詞句」のところで、「東京という町」などの例をあげて、前の 名詞を強く印象づけるためにちょっと間を持たせているような用法、だと述べ ましたが、ここでも同じように言うしかないでしょう。

57.2.3 思考・言語関係の動詞

 さて、動詞です。まず、基本的に「こと」をとる動詞から。言語による「伝 達」に関する動詞、言語によって誰かに「働きかけ」る動詞、「思考」に関す る動詞、などがあります。  「働きかけ」の動詞は、節内の述語に過去の形をとれません。「働きかけ」 はこれから起こることに関するものだからです。  否定の形は多くの場合とれます。    言う、話す、伝える、教える、書く、読む、知らせる、発表する 命令する、禁じる、勧める、頼む、要求する、祈る、約束する 考える、思う、信じる、疑う、理解する、反省する、決める    基本的に「こと」をとる動詞ですが、また、引用の「と」もとる動詞です。      午後、会議があることを皆に伝えた/言った。      浜辺で亀を助けたことを話した/述べた。      上官が部下に捕虜を殺すことを命じた/命令した。      福祉を充実させることを要求した/求めた。      建物の中に入ることを禁じた/許した。 今日も無事故であることを願った/祈った。      日本に留学することを決心した/決めた。      勤めをやめることを考えていた。  「と」と「こと」を比べてみます。      新しい時代が来ると話した。      新しい時代が来ることを話した。 卒業式をやめると決めた。      卒業式をやめることを決めた。      卒業式をやめるのを決めた。  「の」の例は少し落ち着きません。  「話す」の例では、「と」のほうは「新しい時代が来る」ということばその ものが使われたように感じますが、「こと」のほうではその「内容」が話され たに過ぎません。  例えば、「新しい時代が来る」ということばそのものは使われず、「世の中 はこれから大きく変わる」というように言われたものを、発話者が「新しい時 代が来る」という言い方でまとめたのかもしれません。  また、否定にすると、「と」と「こと」の違いが出ます。      新しい時代が来ると(は)話さなかった。      新しい時代が来ることを話さなかった。  「こと」のほうでは「来る」のは確定的な事実のようです。はっきりしてい ることを教えてあげなかった、という意味を感じます。  「と」のほうでは、そういうはっきり言えないことは話さなかった、という 意味合いです。  言いかえれば、「と」は「そのまま」です。「こと」は内容を一度頭の中で 整理してから表現しています。  この中で「の」がとれるのは「知らせる・信じる・反省する」などです。あ とでとりあげる「知る」や「態度」の動詞に意味が近いからでしょうか。      荷物を送ったのを知らせた。      来てくれるのを信じていた。      自分の不注意で失敗したのを反省していた。   「思う」などに副詞句が付いて「判断する・評価する」という意味に近い場 合、「の」をとります。      彼が途中で退席したのをどう思いますか。  命令・依頼などの動詞は「と」以外にも「ように」をとる形があります。      上官が部下に捕虜を殺すように命令した。      福祉を充実させるように求めた。 これらの「引用」の問題は名詞節の後でとりあげます。  「という」は多くの場合入れられます。 会議があるということを伝えた。     ×捕虜を殺すということを命令した。  節内の述語が「−だ」の場合は「という」が必要です。      作戦は中止だということを伝えた。      家族皆元気だということを手紙で読んだ。(元気なことを)  「−だ」は「である」で置き換えられます。      乗客が無事であることを祈った。

57.2.4 認識・態度の動詞

 次に「の/こと」のどちらもとれる動詞。事柄の存在の「認識」に関する動 詞と、人や物事に対する「態度」を表す動詞です。    知る、わかる、覚える、忘れる、思い出す、発見する、確かめる    認める、確認する、見落とす、気が付く    悲しむ、喜ぶ、楽しむ、怖がる、恐れる、驚く、怒る、寂しがる、    満足する、後悔する、反対する、あきらめる、ほめる、我慢する 3時から会議があるの/こと を忘れていた/見落とした。 彼が病気 なの/であること を知っていた。      そうできないの/こと はわかっていた。      財布がなくなっているの/こと に気づいた/を発見した。      その人が本人 なの/であること を確かめた/確認した。      苦しい時に助けてくれたの/こと を覚えていた/思い出した。 彼が来てくれるの/こと を期待して/望んで いた。      一人で全部食べたの/こと に感心した/あきれた。      その時はっきり言わなかったの/こと を後悔した。      地震そのものよりデマが広がる こと/の を恐れている。      親友が亡くなった こと/の を悲しんでいる。      平和が訪れた こと/の を喜ぶ。  「という」は、「こと」の場合は入れられますが、「の」の場合には多少不 自然になるようです。述語が「−だ」の場合は必須です。        助けに来てくれるということを信じていた。      開館は9時だということを思い出した。  「の」の前で、名詞述語の「−だ」が「−な」になります。「こと」の前で は「である」が使えます。      子どもは半額なのを知らなかった。(×半額なことを)      子どもは半額である(という)ことを知らなかった。

57.2.5 感覚を表す動詞

     見る、見える、聞く、聞こえる、感じる、見物する 感覚を表す動詞です。「こと」は使えず、「の」に限られます。節の中の述 語は動詞の肯定形に限られます。  動詞によっては過去形も可。しかし、主節の時よりも以前を指すわけでは ありません。  否定形は意味的に難しいようです。  「という」は使いません。 除夜の鐘が鳴るのをしばらく聞いていた。      誰かが私のことを話しているのが聞こえた。      彼がそこにいる/いた のを見たんです。 人々が走っていく/いった のが見えました。      心の中で何かが生まれる/た のを感じた。 建物が揺れる/揺れている/揺れた のを感じた。     ?彼らが立ったまま、全然体を動かさないのが見えた。  「見る」の意味が感覚的なものでなく、知的なものになると「こと」を使う ようになります。次の例では「検討する」「考える」に近い意味です。      これまで、感覚動詞が「の」をとることを見てきました。      日本語の研究が遅れていることをどう見るか。   感覚というのは、その時、その場で感じるものです。  そのような特徴は、次の動詞にもつながっています。         

57.2.6 「現場性」の動詞

   感覚の動詞が「現場性」とでも言える性質を持っていることを上で指摘しま したが、これから見る動詞もそのような特徴を持っています。      手伝う、助ける、とめる、待つ、間に合う、遅れる  これらの動詞は、ある動作がその場面で成立するかどうかに関する動詞です。 「の」を使います。 料理が来るのをじっと待っていた。 映画が始まるのに間に合った。      救急車の着くのが少し遅れたら危なかった。  これらの動詞のもう一つの特徴は、意味的に名詞節の動作主体を主節の補語 としてとれることです。      料理を待つ   映画に間に合う   救急車が遅れる  次の二つは形容詞の例です。      担当者が間違いに気づくのが遅かった。      彼のほうが着くのが少し早かった。  次の動詞も同じように「の」をとります。      私は子供が着替えるのを手伝った。 子どもが駆け出そうとするのをとめた。      彼女は外国人が困っているのを助けた。      泥棒が逃げていくのを追いかけた。      彼女が階段を下りてくるのにばったり出会った。      風が吹き荒れていたのがやんだ。      選手たちが懸命に走るのを励ました。  これらの動詞も、意味的に名詞節の動作主体を主節の補語としてとれます。      子どもを手伝う    子どもをとめる  外国人を助ける      泥棒を追いかける   彼女に出会う   風がやむ      選手たちを励ます     また、これらは連体節に書き換えることができます。つまり、 困っている外国人を助けた。      逃げていく泥棒を追いかけた。 という形に変えることができます。

[「の/こと」両方をとれる動詞]  

 以上の動詞に近い意味なのですが、「の/こと」の両方をとれる動詞があり ます。      群衆が入ってくるの/こと を防いだ。      対向車とぶつかるの/こと をさけようとした。      旅行に行くの/こと をとりやめた/中止した。      今日は出かけるの/こと を止めた。      検査を始めるの/こと を延期した。       将軍を味方に引き入れるの/こと に失敗/成功した。      差別的な表現になっているの/こと を直す/改めるべきだ。 これらの多くに共通するのは、行為の中止・改正などの意味であることです。  「こと」を使うと、現にそこで起こっていることというより、将来の予期さ れることのほうが安定します。      群衆が入ってくるのを何とか防いだ。      非常時に群衆が入ってくることを防ぐためにシャッターを補強した。  同じ「やめる」でも、次の例では「の」がふつうです。 たばこを吸うのをやめた。  これは、「これから吸う」「今、吸っている」「吸う習慣」のどれかをやめ るという意味になります。  

57.2.7 名詞節を二つとる動詞

 共同動作の補語「Nと」と一部の「Nに」をとる述語は二つの名詞節をとり うることになります。      花を育てるの/ことは、子どもを育てるの/こと に似ている/と      同じだ。      子どもを育てるのは、ペットを飼うのとはぜんぜん 違います/別      です。      私たちは、科学の研究を進めることと、その成果を役立てることを      区別し/分けて考え なくてはいけません。 リンゴが落ちることと、月が地球のまわりを回っていることを比べ      て/比較して 見よう。      販売が不調だったことと、広告費を節約したこととは関係がありま      せん。販売の方法に問題があったのです。       「の」と「こと」の違いは、「こと」のほうが硬い書きことばに使われる傾 向があるということでしょう。

57.2.8 動詞に支配されない名詞節

 さて、以上はどういう動詞が補語として名詞節をとるかということでしたが、 動詞の必須補語とは別に名詞節を受けるものがあります。  格助詞の中で、「で」は動詞による支配を直接受けないので、別に考える必 要があります。「所で」「時で」などでは名詞節をとれません。「で」の前に 「文に相当する内容」が来るのは、「原因・理由のデ」の場合です。      双方が自分の非を認めることで、問題が解決した。      企業が謝罪し、補償金を払うことで和解が成立した。      A社が参入したことで、競争がいっそう激化した。  これらの例のように必ず「こと」が使われ、書きことばになります。  また、他動詞の「Nが」のところに「〜こと」が来ることがあります。これ はかなり多くの動詞がとりえますが、かなり硬い書きことばです。この「が」 は、主体というより原因に近いもので、「原因・理由のデ」に似ています。      予報が遅れたことが多くの災害を引き起こした。 決断が遅れたことは、かえってよい結果をもたらしたのである。      結局結論に達しなかったこと自体が制度の欠陥を示している。      族議員を押さえられなかったことは、首相の無能を明らかにした。      彼女が何も言わないことが彼を悩ませ/悲しませ/怖がらせ た。  この対象の「Nを」のところに名詞節が入ることもあります。すると、二つ の名詞節をとることになります。 欠席するということは、責任を認めるということを意味している。      私の案が認められたことが、私が手を引くことを不可能にした。  このような文は、けっこう多く見られます。      副助詞も形の上では名詞節につきますが、その名詞節の形や内容を決めてい るのは、やはり述語です。      そんな規則があることさえ知らなかった。(〜ことを知る) この例で、名詞節を受けているのは「さえ」ではなくて、その「陰にある」は ずの「を」です。  ちょっと違うのは格助詞相当句です。いくつかの格助詞相当句は名詞節につ きます。そして、述語の支配を直接受けないので、つまり、多くの述語と使え るので、名詞節の使用範囲が大きく広がります。「こと」がよく使われます。      輸出を伸ばすことによって、産業を発展させた。(×の) 会議が延びたことによって、約束の時間に遅れてしまった。   担当を外されたことにより、自信を失った。      核実験を行ったことに関して、意見を述べた。(×の) 口を挟んだことについて、さんざん批判された。(×の)      食堂の営業を停止したことに対して批判があった。      彼が政府側に立ったのに対し、彼女は住民側に立った。 足を開くのと同時に手を上にあげます。 「こと」「の」を使わず動詞に直接つけられるものもあります。変化を表すも の、「〜際に」と近い意味の「V−にあたって」などです。      産業が発展するとともに、人口も増加した。      台風が近づくにつれて、雨が強くなってきた。      奥に進むに従って、穴が小さくなっていく。      記念式典を始めるに当たって、一言述べさせていただきます。  以上のものは、格助詞相当句の部分も含めて連用節とみなし、「55.その 他の連用節」でも扱いました。  並列助詞の「と」や「や」ももちろん名詞節と共に使われます。述語は動詞 に限りません。ここで形容詞の例などもあげておきます。 会社を辞めることや、世界旅行に出ることなどを夢見ています。      ナイターを見るのと、テレビゲームを子どもとやるのが好きです。      お皿を洗うことと、お風呂をわかすことは、主人の役目です。 最後に、連体修飾の「の」。「名詞節+の」というのは、書きことばとして はごくありふれた形です。もちろん、「こと」を使います。 物価が下がったことの影響 が出てきた/は大きい。      科学が発達したことの意味を考え直してみたい。      女性が強くなったことの評価は人によって違います。            

57.2.9 感情形容詞

     悲しい、嬉しい、恐い、心配だ、恥ずかしい 感情形容詞は「の」と「こと」の両方を使うことができます。節の述語は過 去形も否定形もあります。 彼女が来てくれた の/こと が何よりもうれしかった。 お金があまりない の/こと が心配だ。      家族がみな健康な の/こと がうれしい。  感情の主体を表すには、形容詞のほうは「私には/私にとっては」などのよ うに「に」が表れ、動詞では「私は」になります。      私には、お金がありすぎることが不安だった。      私は、母の体が弱いことを心配していた。

57.2.10 判断・評価・態度・難易などを表す形容詞・名詞述語

      真偽  正しい、間違いだ、うそだ、確かだ、明らかだ、事実だ     評価  正しい、当然だ、間違いだ、必要だ、大切だ、重要だ     難易  難しい、やさしい、無理だ、大変だ、かんたんだ  事柄に対する話し手の真偽判断、評価を表す形容詞、それに難易を表す形容 詞、そして同じような意味を表せる一部の名詞です。  「真偽判断」というのは、そのことが本当に起こったことかどうか、という ことです。  「評価」というのは、それをすることがよいことかどうか、つまり是非を問 うことと、重要性などを問うことです。  「難易」とは、それが難しいことか、簡単なことかという判断です。  一部を除いて「の」と「こと」の両方を使うことができます。名詞節の中の 述語は過去形にも否定形にもなります。それだけ、具体的な事柄の描写になっ ています。  なお、名詞述語のものは、あとで「名詞節を含む名詞文」として再びとりあ げます。

[真偽]

「という」の使い方で「評価」と分けられます。「真偽」の「正しい・間違 いだ・うそだ」は「という」が必要です。  「真偽」の「正しい・うそだ」では「の」が使われます。     ×彼がそこにいたのは うそだ/正しい。      彼がそこにいたというのは うそだ/正しい。  「正しい」で「という」を使わないと、次の「評価」の例となります。      彼がそれを話さなかったというのは正しい。(本当だ、事実だ)      彼がそれを話さなかった こと/のは正しい。(よい選択だった)  つまり、「真偽」の「正しい・うそだ」は、名詞節の内容が事実だという判 断についてその真偽を述べているのに対して、次の「評価」の「正しい・当然 だ」などは、その行為がよいことかどうかを述べています。  「評価」の場合、「という」を使っても同じです。 彼がこれを選んだ(という)の/こと は正しかった。      彼女が証言を拒否した(という)の/こと は当然だ。   「間違いだ」も、「正しい」と同様に二つの意味があります。「という」の 使い方も同様です。      強制連行はなかったというのは間違いだ。(本当にあった)      だいたいあんたがここにいる(という)のが間違いなんだ。      (いるべきでない)  上の例は「真偽」を表し、次の例は「評価」で「という」が使えます。  「確かだ、明らかだ、事実だ」などの場合は、節の中の述語は形容詞でも名 詞述語でもかまいません。「だ」は「こと」の前では「である」または「な」 にします。   ここに誰もいなかったの/こと は確かだ。(明らかだ、事実だ)      彼女が無実である こと/の は事実だ。      それが誤りな こと/の は明らかだ。      それが嘘だった こと/の は確かだ。  「という」を使えば、「だ」のままでも可能です。      それが誤りだという こと/の は明らかだ。

[評価]

 「評価」の「正しい・当然だ」の例はすでにあげました。「こと/の」を使 います。「必要だ・大切だ」などでは「の」だと不自然です。「という」はよ く使われます。   彼がこれを選んだの/こと は当然だ。      日本政府が責任をはっきり認めることが 必要だ/大切だ。      調査は徹底した調査である(という)ことが重要だ。      その時あいさつをしなかったのは よくない/失礼だ/問題だ。

[連体節と名詞節]

ちょっと気をつけなければいけないのは、「彼が言ったことは正しい」の場 合、二つの意味に取れるあいまいさがあることです。 「彼がある発言をした。そしてその内容は正しい」の意味ととれば連体節に なり、ここで扱っている名詞節とは違います。  「彼がある発言をしたことは正しい」の意味なら、「黙っていないで話した。 その判断・行為は正しい」という意味で名詞節です。

[「Nに」をとる形容詞]

態度・必要などを表す形容詞は「Nに」をとりますが、そこに名詞節が入り ます。   その子は砂で山を作ることに夢中だった。      子どもを育てるのに精一杯で、他のことができません。  「必要だ」などは「51.目的」で「V−のに」としてとりあげました。     

[難易]

 「難易」の例を考えてみましょう。      私には、朝6時に起きるのは大変なんです。      男にとって結婚することはかんたんだが、離婚するのは大変だ。      言語能力を解明する(という)ことは非常に難しい。      そう言うのはやさしいが、実行するのは困難だ。  形容詞が名詞節をとっているわけですが、形容詞の補語のところで見たこと と基本的には同じです。例えば、 [こと]が 大変だ [こと]が [人]に 大変だ の[こと]のところに名詞節が入るわけです。「大変」は「こと」よりも「の」 のほうがぴったりします。  「こと」を使うと、「〜ことは大変だ」よりも「〜ことは大変なことだ」と するほうが落ち着きます。  他のものは、多少の自然さの違いはありますが、「こと」でも「の」でもい いでしょう。  節の中の述語の主体は「Nに」「Nにとって」などで表されますが、一般的 な「人」である場合は省略されます。  この文型の難しさは、次のような形にもできることです。    a 外国人がこの本を読むのは難しい。 b 外国人には、この本を読むのは難しい。    c この本は、外国人が読むには難しい。 aが一応「元の」形と考えられるでしょう。名詞節の中に「外国人が」とい う主体が入ってしまいます。  それを主題化したのがbで、これは初めにあげた例文の形です。  cは名詞節の中の「Nを」を主題化したもので、しかも「難しい」の前の 助詞が「〜には」になっている点が独特です。      この本は、外国人が読むのはちょっと難しいね。 とも言えそうですが、「〜には」のほうが安定するでしょう。また、      この本は、初級の学習者が読むには漢字が多すぎる。      この家は、一人で住むには広すぎる。 という例では「〜のは」は不自然です。  この「には」は「51.目的」の「51.4 V−には」に近いものです。そこで は「評価の基準」(「3.6 形容詞文の補語」の「Nに」参照)と考えました。 上の例も目的の「V−には」と同様に「V−のには」とすることができます。      この本は、外国人が読むのにはちょっと難しいね。 そう考えると、上のcの例は、      この本は難しい という基本的な形に、「評価の基準」を表す連用節「V−には」が加わったも の、ということができます。  

[文副詞との関係]

 以下の形容詞は、文頭に使われる「評価」の文修飾の副詞(句)と、意味の面 だけでなく構文の面でも密接な関係があります。      幸いだ・幸い(にも)・幸いなことに      あいにくだ・あいにく・あいにくなことに   幸運だ・幸運にも・幸運なことに      残念だ・残念なことに    うれしい・うれしいことに      素晴らしい・素晴らしいことに   信じがたい・信じがたいことに  まず、名詞節を受ける例。      けがが軽くてすんだことは 幸い/幸運だった。      途中で雨が降ってきたのは あいにく/残念だった。  文修飾の副詞(句)を使った例。 幸い/幸運 (にも/なことに)、けがは軽くてすんだ。      あいにく/あいにくなことに/残念なことに 雨が降ってきた。  この二つの表現は、「何があったか」「話し手はどう思ったか」という点で は同じ内容です。ただし、文脈の中でどこが新しい情報になっているかという 点が違います。 「彼はまだ病気ですか」「幸いに、病気は治りました」 ?「彼はまだ病気ですか」「病気が治ったのは幸いでした」 後の例では、聞き手は「病気が治った」ことをすでに知っている、というこ とを前提にして話しているので、自然な流れになりません。  この「〜のは/ことは〜だ」の文型は、文のある部分に焦点を合わせるとい う点で、あとで見る「強調構文」に近いものです。強調構文では「こと」は使 いませんが。 以上の例は「評価」の副詞でした。次の例は、その事柄の確実さや当為に対 する判断が含まれています。 まず、「確かな/に」「確実な/に」「もちろん」など。      確かに、誰かがここにいた。      誰かがここにいたの/こと は確かだ。   もちろん、会費を払ってもらうよ。      会費を払ってもらうのはもちろんだよ。      確実に間に合う。      間に合うの/こと は確実だ。  それから、「当然」。      当然、これも持っていくよ。      これも持っていくのは当然だよ。

57.2.11 名詞節を含む名詞文

   「Nは/が Nだ」という名詞文で、二つのNのどちらかが名詞節となる形 は意外に多くあります。両方とも名詞節になる場合はそれほど多くないです。  まず、どちらかが名詞節である場合をとりあげます。

[名詞文の二つの型(復習)]

 その前に、基本的な名詞文の型を復習しておきましょう。 説明型      あの人は田中さんです。    「AはBです」の「A」の属性を説明する文で、「BがAです」とは     (ふつうの文脈では)言えない。      ×田中さんがあの人です。     指定型      田中さんはあの人です。    気箸糧羈咾任いΔ函△い錣弌孱造錬舛任后廚侶舛砲覆蝓◆孱臓廚量昌    が「どれ・どのN」であるかを「A」で指定する文で、「AがBです」    の形でも言える。      あの人が田中さんです。

[名詞節の場合]

―匕譴箸覆詭昌貔

さて、述語名詞が名詞節になった場合は、上の二つのどちらの型と考えられ るでしょうか。    a 私の仕事は外国人に日本語を教えることです。 この文は、 a’外国人に日本語を教えることが私の仕事です。 としてもほぼ同じ意味になりますから、上の兇痢峪慊蠏拭廚噺世┐泙后ここ で名詞節は、名詞述語「私の仕事」の内容を表しています。 一方、名詞節を主題とした次の例は少々不安定です。    b ?外国人に日本語を教えることは私の仕事です。  「あの人の仕事ではなく、私の仕事だ」というような対比的な意味を強く持 たせないと、安定しません。  また、aの「仕事」は「職業」の意味ですが、bの「仕事」は「責任範囲」 という意味合いを感じ、少し意味が違ってきます。  上のa’のように、bの「は」の両側を入れ替えてみます。 b' ×私の仕事が外国人に日本語を教えることです。  a’は安定していましたが、b’はかなり不自然です。  つまり、bのほうは入れ替えにくいということです。気痢崟睫牲拭廚瞭団Г任后  代名詞の「これ」に置き換えられるのはどれかを考えてみます。      私の仕事はこれです。      これが私の仕事です。      これは私の仕事です。     ?私の仕事がこれです。 となって、名詞節の部分が「これ」で置き換えられます。  aの「外国人に日本語を教えること」は、「私の仕事」の内容を表している のですが、文法構造上は、aの例、      Nは 名詞節だ は名詞文の兇了慊蠏燭如■發領磧      名詞節は Nだ は名詞文の気寮睫牲燭砲覆襪箸いΔ海箸言えます。どうもわかりにくい話で すが。  aと同じような例を挙げておきます。      私の趣味は切手を集めることです。      切手を集めるの/こと が私の趣味です。      今期の目標は、売り上げを2倍にすることです。   この会社のいいところは、仕事が少なくて暇なことです。      彼の欠点は、約束の時間に遅れがちなことです。 国民の義務は、一生懸命働いて税金を納めることです。      今回の事故の原因は、人為的なミスが重なったことです。 この文型になるのは、人や事柄の性質や側面を表すような名詞です。上の例 からわかるように、「NのN」の形になるものが多くあります。   仕事、担当、特技、趣味、生きがい、夢、希望、望み、願い、      特徴、長所、欠点、癖、(いい)点、(悪い)所、義務、      目的、目標、条件、(事故の)原因、始まり、きっかけ  そして、その「NのN」は、「2.名詞文」で見た「は・が文」の一つの型に なるものが多くあります。基本的な名詞文の例を復習しておきます。      私の趣味は野球です  野球が私の趣味です → 私は野球が趣味です 述語名詞句の「私の」が主題化されて「私は」となっています。名詞節を含 む場合も同様の型になります。      私の趣味は切手を集めることだ    「AのBはCことだ」      切手を集めるの/こと が私の趣味だ 「CことがAのBだ」      私は切手を集めるの/こと が趣味だ 「AはCことがBだ」  この場合、「〜のが」でも言えます。 「は・が文」の形の例をいくつか。      私は、後世に残るような仕事をするのが夢です。      夫をなくした彼女は子どもを育てるのが生きがいです。 この機械は、操作しやすいことが特徴です。      彼女は、お酒を飲み過ぎるのが悪いところです。      この事故は、運転手がよそ見をしたのが原因です。 この会は、A氏が知人に呼び掛けたのが始まりです。      この組織は、機械翻訳を実用化することが目的です。  名詞節を含む「は・が文」というと、何か特別な型のようですが、こうして 例文を見てみると、ごくありふれた例だということがわかるでしょう。

¬昌貔瓩鮗ける名詞述語

 さて、初めのbの例、つまり名詞が述語となって名詞節をとる場合を見てみ ます。      教育を受けるのは国民の権利です。      市民の安全を守ることは警察の責任です。      ここでやめることは、問題からの逃避です。      子供と遊ぶことは、私にとって大きな楽しみです。   「こと」でなく「の」も使うもの、両方使えるものがあります。  前に「判断・評価などを表す名詞述語」でとりあげた「事実だ・間違いだ」 もこの例です。      彼女がそこにいた(という)のは事実だ。 彼女がそこにいたというのは間違い/うそ/デマ だ。  ここで興味深いことは、この文型では「は」でなく「が」のほうが自然な文 になることが意外に多いことです。  まず、上で見た「述語となる名詞節」の名詞節と名詞を入れ換えた例が「が」 になります。      売り上げを2倍にするの/こと が目標です。      あそこでピッチャーを替えたの/こと が敗因だ。  これらは、もともと「N(のN)は名詞節だ」を「名詞節がN(のN)だ」にし たものですから、「は」では言いにくいものがあります。     ?売り上げを2倍にするの/こと は目標です。     ?あそこでピッチャーを替えたのは昨日の試合の敗因だ。 ただし、例えば「来期の目標です」とすると、「今期」や「前期」との対照 の意味が出てくるので、「は」でもよくなります。      売り上げを2倍にするの/こと は来期の目標です。  「こと」で言えない例も多いです。 首相は早く辞任しろというのが国民の声だ。(?は) 「国民の声」を主題にすると、次のようになるでしょうか。      国民の声は、首相は早く辞任しろ、というものです。 「〜こと」とは言えませんから、名詞節述語とはなりません。      もう自力では解決できないのが実情だ。      計画が予定通りは進まないのが現実だ。      悩み、傷つくのが青春だ。 言い出したらやめないのが彼の性格です。 どういう名詞が「こと」で言えないのかは難しい問題です。次の例は、そも そも「Nは〜」という形にできません。      住民の安全を確保することが先決だ。(×先決は〜)

A、Bどちらも名詞節の場合

 「〜ことは〜ことだ」という形で、「AはBだ」の両方に名詞節が入ります。 抽象的な内容になり、硬い書きことばの感じがします。  愛することは信ずることだ。 本を読むことは著者と共に考えることだ。      希望を持つことは、未来への大きな力を得ることだ。  「という/って」を使うと、ずっと話しことばになり、多く使われます。      二人とも仕事に出るということは、家に誰もいないということだ。      0点をとったということは、落第するということだな。      合格したってことは、お祝いをあげなきゃならないってことだ。      じゃあ、何か、かわいそうだってことは、ほれたってことか?

い匹舛蕕が「連体節+こと」である場合

 AまたはBが、名詞または名詞節ではなくても、「〜こと」の形の連体節で あれば、もう片方に名詞節を使うことができます。「〜ことは/が 〜ことだ」 という形になるわけです。      今、必要なことは、誤りを認め、謝罪することです。      私が言いたいことは、いい加減にしろ、ということです。  これらは「連体節+こと」が主題の位置に来ています。   今、そのことが必要だ。      私は、このことが言いたい。  逆に、述語に連体節が来ている例。      大きいことはいいことだ。      外国人に日本語を教えるというのは、楽しいことですか。  「大きいこと」は、「(その)ことが大きい」のではなく、「何かが(例えば ケーキが)大きいということ、大きいという事実」です。      一生に一度、何か大きいことをやろう。 という「大きいこと」は「(その)ことが大きい」という連体節です。  「いいこと」は「(その)ことはいい」という連体節です。      一日一つ、何かいいことをしなさい。 の「いいこと」と同じです。  二番目の例で、「楽しいことですか」を「楽しいですか」としても、意味は ほとんど変わりません。これは、ふつうの名詞述語でも見られることです。      この辞書は、いい(辞書)ですか。  実質的な述語は、「辞書(です)」ではなくて「いい」なのです。

57.2.12 「〜という/ような こと/の」

 連体節の最後の方で「という」と「ような」について述べました。名詞節で も「という」が非常に多く使われます。話しことばで「って」にもなります。  特に、「こと/の」では直接接続できない「〜だ」や疑問文、命令文などを 受けるときは必須です。      神を信じるということは、すべてをゆだねるということだ。      ここで、消費が伸びないというのは、経済が停滞しているというこ      とを示しています。 わからないというのは、わかりたくないということでしょう? あんたが知らないってことはないんじゃないの? 私が言いたいのは、今が買い時だってことです。 俺の酒が飲めないってことは、つまり俺とはつき合いたくないって      ことなんだな。俺の顔なんか見たくないってことだな?ええ?      今何が問題なのか、ということがわかっていないんじゃないの? 彼女を誘ってみたら、ということも考えてみたんだが、どうもねえ。 「ような」もよく使われます。それに類すること、です。 人をあっと驚かすようなことをしてみたい。      人をバカにするようなことは言うな。      夜、一人で出歩くようなことはやめた方がいい。  「というような」も使われます。      彼は、この先どうなるかわからない、というようなことを言ってい      たけど、まあ、何とかなるさ。 「なんて」は「などという(ような)」の意味です。      この私が、見事結婚して、二児の母になるなんてこと、誰も予想し      なかっただろうなあ。はっはっは。 次の例の「ような」は、また少し違います。 何も知らないようなことを言っていたけど、ありゃ嘘だね。 「ような」をとって「×何も知らないことを言っていた」とは言えません。 「引用」の「と」に当たる「ように」を使った形に近い意味です。(→ 58.4)      何も知らないように言っていたけど、ありゃ嘘だね。

57.3 V−ところ

この「ところ」は場所ではなく、ある「場面」を表します。事柄が連続して 起こる流れの中のある一点、という意味での場面です。  主節の動詞は制限が少なく、トコロ節がある場面を示し、主節はそのとき起 こったことを表すような動詞です。  「スルところ」「シタところ」どちらもあります。     どろぼうが逃げようとするところを捕まえた。  この場合、「どろぼうを捕まえた」のですが、そのどろぼうを「逃げようと する」という「場面」で捕まえたことを表します。      子どもがお菓子をつまみ食いするところを見た。(したところ)      ボールが上がりきって、静止したところを叩いた。(するところ)      彼女がドアを出ようとしたところを呼び止めた。(するところ)      草原に雪がしんしんと降っているところを写真に撮った。      彼は私が大物を釣り上げようとしているところをじゃましたんだ。  その主体がある動きをし、その動きの最中(または後)に主節の動作が行わ れます。  「する/した」の違いはほとんどなく、「た」は過去でも以前でもありませ ん。                       これらはみなそれぞれの「主体」に対する動作になっています。      子どもを見た  ボールを叩いた  彼女を呼び止めた      雪を写真に撮った    「じゃま」はちょっと特別で、「人の行動をじゃまする/人のじゃまをする」 という型になります。「×人をじゃまする」とは言いません。     (私の)じゃまをした  「ところへ/に」の例。   うわさをしているところへ本人がやって来た。      暴走族がたむろしているところへトラックがつっこんだ。      桜の花が咲きかけたところへ、無情の嵐がやってきた。    昼寝をしようとしていたところに電話がかかってきた。      やっとのことで仕上げたところに追加の注文が来た。      ちょうど電話をしようとしたところに返事の手紙が来た。  これらの例でも、「(人の)ところへ/に きた」のですが、それは場所と言 うより、その場面、その状態、です。  「ところに」は「時に」との近さも感じさせます。      (うわさをしている)私達のところへ本人がやって来た。      暴走族(がたむろしているところ)へトラックが突っ込んだ。      (昼寝をしようとしていた)私に電話がかかってきた。 ちょうど電話をしようとしたときに返事の手紙が来た。  「ところで」の場合。場所と言うより、時間の流れの中のある一点、という 意味合いです。   夢の中で恋人にキスしようとしたところで目が覚めた。      あと1行書いたら印刷しよう、というところで停電し、ワープロの      中の原稿は消えてしまった。   うちを出て50mほど歩いたところで忘れ物に気がついた。 最後の例は、「その場所」の意味の連体節とも解釈できます。  次の1の例は受身文ですが、2の文と同じで、3の文型になっています。   1 どろぼうは木の陰に隠れていたところを見られた。    2 どろぼうは顔を見られた。    3 Aは(Aの/が)Bを V−られる  「顔」は「どろぼうの顔」ですが、「ところ」では「どろぼうが〜ところ」 です。  次の例になると、「を」を受ける動詞がなくなってしまいます。      ドアが閉まろうとするところを、何とか飛び込んだ。(電車に)      お忙しいところをわざわざ出てきていただいて。      せっかく楽しそうなところを、呼び出してしまってすみません。      遠いところをお呼び立てして申し訳ありません。   お食事中のところ

57.4 〜か(どうか)

 名詞の代わりに疑問文が入る場合です。丁寧形は使わず、普通形ですが、敬 語を使うと丁寧形になることもあります。疑問語のある疑問文では「〜か」だ けです。肯否疑問文では「かどうか」になるものと、ならなくてもいいものが あります。   突然、どうすればいいか(が)わかった。      結婚記念日はいつだったか(を)すっかり忘れてしまった。      これで良いか(どうか)(を)聞いてみた。      この方法でうまくいくか(どうか)(を)試してみよう。      このことを知らせるべきか(どうか)(で/に)迷った。 その時、彼女がいたかどうか(を/は)忘れました。 ?その時、彼女がいたか(を/は)忘れました。      これまでのやり方でいいかどうか(を)決めたい。      そううまく参りますかどうかはわかりません。  格助詞は省略可能な場合が多いのですが、そうでない場合もあります。名詞 節としての名詞性が必要になる場合、例えば、連体修飾を受けたり、「NとN」 の構造になる場合などです。      長く問題になっている、新学科を作るかどうかを話し合った。      次に、パーティーは誰を呼ぶかとどこでやるかを相談した。      モノレールの開通がいつになるかが次の問題だ。 最後の例は、「指定」の「が」で、省略できません。「次の問題は〜だ」を ひっくり返した形です。  この文型をとる主節の述語には制限があります。名詞節の内容は疑問文です から、質問の意味の動詞以外に、知的あるいは精神的な活動に関係のある述語 に限られます。  まず動詞の場合、      聞く、尋ねる、質問する、問い合わせる      言う、話す、知らせる、連絡する、話し合う、議論する、教える、      わかる、知る、覚える、忘れる、調べる、試す、テストする、      判断する、推測する、予想する、考察する、議論する、決める      疑う、悩む、迷う、心配する などの心理・伝達の意味を持つものです。  補語+動詞の形の連語でもいろいろあります。意味的には上の動詞に近いも のです。      疑問に思う、問題にする、判断に迷う、意見を述べる、議題に上る、      決定を下す、調査を始める、      業者にいくら払ったか(が)問題になった。      これから何をすべきかが議論の中心になった。  範囲・原因の「で」の場合はちょっと特別で、他の動詞でも使えます。「A かBかで」の形もあります。      材質が木かプラスチックかで重さがずいぶん違ってくる。      休みにするかどうかで意見が分かれた。      どういう態度で切り出すかで、相手の対応も変わるから難しい。      どうやるか/やるかどうか でけんかになった。  また、ふつうは名詞節をとらない動詞でも、「てみる」をつけると、      おとなしくしているかどうか、彼の家へ行ってみた。      私の足には大きすぎないかどうか、ちょっとはいてみた。 のように使うことができます。これは「てみる」に「試す」の意味があるため でしょう。  同じように、「ておく」も使える場合があります。      水が何日ぐらいでなくなるか、そのまま置いておいた。   これは「〜なくなるか(調べるために)」のような省略と考えられます。  形容詞では、      明らかだ、不明だ、疑わしい、心配だ、不安だ、      重要だ、大切だ、 などがこの文型になります。      昭和天皇に戦争責任があるかどうかは明らかだ。      この説明が正しいかどうか、どうも疑わしい。      彼女が来てくれるかどうか(が)心配だ。      証人が出席できるかどうかが重要だ。 「明らかだ」は「〜かどうか」でも「〜ことは」でも同じ意味になります。      昭和天皇に戦争責任がある/ない ことは明らかだ。 そう言わずに、聞き手に判断させるのが上の「〜かどうか」でしょう。 「心配だ」は疑問語がなくても「〜か」だけで言えます。      彼女が来てくれるか心配だ。 「重要だ」はできません。     ×証人が出席できるかが重要だ。  名詞文の場合、   これでうまく行くかどうか(が)問題だ。   問題はこれでうまく行くかどうかだ。      誕生日に子供たちが何をくれるか楽しみだ。 のように、「AはBだ」のA、Bどちらにも「〜か(どうか)」が現れます。 つまり、「〜こと」と同じです。もちろん、その名詞には制限がありますが。      こんな計画では、期日に間に合うかどうか(は)疑問だ。      いったい誰を会長にしたらいいのかが最大の悩みの種だ。   このエッセイ集の持ち味は、材料をいかに料理して出すか、である。   今何が必要かは、みな知っていることだ。問題は誰がするかだ。     聞きたいことは、いったい誰が弁償するのか、(ということ)です。  ふつうの格助詞だけでなく、格助詞相当句にも続けられます。  この予算をどう扱うかについて、何か意見があったら言って下さい。  会議の際にどういう順で座るかをめぐって、慎重な根回しがあった。 誰に頼むかによって、出来上がりに差が出る。  次の例のように指示語で受けることもあります。      生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ。      何がいちばんの問題なのか、そこを考えたい。  「〜と」があるものは疑問文の引用とみなします。「58.引用」を参照して 下さい。     お前は行くかと聞かれたので、誰が行くものかと答えた。     (×行くかどうかと)     こんなことも知らないのかと馬鹿にされたが、知らないものは知ら      ない。    子どもに何が欲しいかと尋ねたら、いくら持っているのと聞かれた。

[AかBか]

「5.9 並列助詞」で「NかN(か)」の形をとりあげましたが、そのNのとこ ろに節が入ります。もちろん、あとの「か」は省けません。接続詞が入ること もあります。 映画に行くか、ビデオを見るか(を)考えていた。 映画を見るか、(それとも)原作を読むか、どっちを先にしようか。      見てから読むか、読んでから見るか、あなたはどっち?      危険を承知でやるか、(あるいは)おとなしくあきらめるか、二つに      一つだ。      たかが勝つか負けるか(のどちらか)だ。命を取られるわけじゃない。      引くか、(それとも)食い下がるかによって戦況は大きく変わる。      一千万円以上か、以下か、どちらの場合でもご相談に応じます。

57.5 強調構文:〜のは/のが 〜だ

 ここで強調構文と呼ぶのは次のような文です。ある文の一部分を強調するた めに「〜のはAだ/です」のAの位置に動かすのです。  例えば、次のそれぞれの(a)の文を(b)のようにします。    1a この辞書は使いやすいです。     b 使いやすいのはこの辞書です。    2a 彼だけが試験を受けませんでした。     b 試験を受けなかったのは彼だけです。    3a 私はこの本を読みました。     b 私が読んだのはこの本です。    4a 泥棒はこの窓から入りました。     b 泥棒が入ったのはこの窓(から)です。    5a 私は兄からお金をかりました。     b 私がお金をかりたのは兄からです。 ここで「強調」というのは、その要素を文の焦点に持ってくることです。文 脈によって、「聞きたいこと」「言いたいこと」の中心が違いますから、そこ をはっきりと言うための文型です。例えば、      この辞書はどうですか。  という質問に対する答えとしてなら、上の(1a)でいいのですが、      どの辞書が使いやすいですか。 の答えとしては、    1c この辞書がいいです。 か、あるいは、上の(1b)の形になります。焦点となる「この辞書」を名詞述 語の位置に置いて、すでに文脈に出ているその他の部分(この例では述語「使 いやすい」だけですが)を主題の位置に持ってきて「〜のは」という形にします。  この例のように「指定のガ」(「9.「は」について」を見て下さい)になる形 容詞文や名詞文なら、(1c)のように「が」を使えば焦点であることがはっきり しますが、例3のような場合は、      あなたはどの本を読みましたか。 に対する答えは、上の(3a)のような、特に焦点を示せない文しかありません。 そこでこの強調構文が使われるわけです。  これらは、形容詞文の「ハとガ」を考えたときに、      これがおいしいです/おいしいのはこれです という例を出しましたが、この後の文と同じ形です。この「の」は、「(おいし い)もの」の代わり、つまり名詞の代わりに置かれたとも言えますが、5の「お 金を借りたの」などを見ると、強調構文の「の」をすべて名詞の代用と考える のは無理です。     ×私がお金を借りた人は兄からです。 この「の」は名詞節を形作る「の」と考えます。   それぞれの「元の文」から動かされ、強調されるのは一つの補語です。初め のふたつの文では、「この辞書」「彼だけ」という「Nが」(主体)が強調さ れ、「は」の後ろに移されています。次の「この本」は「Nを」です。  「元の文」の補語の「が」と「を」は強調構文の「だ・です」の前では削除 されます。  例4の「この窓から」の「から」は強調構文で省略しても意味は通じますが、 例5の「兄から」の「から」は省略しないほうがいいでしょう。    6a 私はこの絵がいちばんいいと思いました。     b 私がいちばんいいと思ったのはこの絵です。  6の例は、「・・・と思う」で引用された中の「この絵が」という補語を取り出 して強調している例です。    7a 夕方から夜にかけて雨が降りました。     b 雨が降ったのは夕方から夜にかけてです。 8a 私達は京都から奈良まで歩いていきました。     b 私達が歩いていったのは京都から奈良までです。  これらの例は、強調される要素が一つの補語ではない例です。ただ、「夕方 から夜にかけて」「京都から奈良まで」全体でそれぞれ「時」「範囲」を表し ているとは言えます。  次の文は「一つの補語」の例外になりそうで、ちょっと困ります。      外国へ行くのはこれがはじめてです。      (はじめて外国へ行きます。) この「これが」の由来の説明がちょっと困ります。「これが」の他には「今回 が・その時が・あれが」のような場合を示す表現が入り、「はじめて」のとこ ろには、「最初・二度目・三回目・最後」など、順番を示す表現が来ます。      日本を出るのはその時が三度目だった。      (?その時、三度目に日本を出た。)  これは、強調構文とするのがよくないのでしょう。      外国へ行くのは初めてです。 はいいとしても、「これが」がなど入った文は、別の文と考えるのでしょう。  似たような例としては、      これに気づいたのは彼が三人目だ。 という例があります。「彼で」の方が自然に感じますが。  最後に、「Nと」や「Nに」の「と」「に」を残す例。あまり自然な感じは しません。ふたつのものを対比的に並べる場合にでてきます。      私が話し合いたかったのはA氏とで、B氏とではない。      文句を言ったのは太郎にで、次郎にではない。

[「〜のは〜からだ」など]

 この文型の「〜だ」の位置には従属節も入ります。特によく使われるのは理 由・目的を表す「〜からだ」「〜ためだ」です。  おいしいのは、スパイスを利かせたからだ。      今日特に寒いのは、本格的な冬型の気圧配置になったためです。  生活を切りつめているのは、家を買うためだ。  時の連用節もこの形にすることがあります。 僕が生まれたのは、日本がアメリカに占領されている時だった。      停電になったのは、ワープロの文書を保存する前だった。      やっと駅に着いたのは、もう列車が出たあとだった。      テレビを見ていいのは、宿題をやってからだよ。

[〜のがNだ]

 「強調構文」というと、「〜のは、Nだ」という形が誰しもすぐ頭に浮かぶ のですが、実際の例を見てみると、意外に「〜のが〜だ」という形がよくある ことに気が付きます。      ちょうどそこへ来たのが、当の松井さんでした。      ここで問題にされたのが、委員会の人選方法である。      こういう時に暇つぶしになるのが、星占いや血液型なんです。 この「元の文」はどういう形でしょうか。 当の松井さんがちょうどそこへ来ました。      ここで委員会の人選方法が問題にされた。      星占いや血液型は、こういう時に暇つぶしになるんです。  これらから、上の例と、次の「〜のは〜だ」のどちらも作ることができます。      ちょうどそこへ来たのは、当の松井さんでした。      ここで問題にされたのは、委員会の人選方法である。      こういう時に暇つぶしになるのは、星占いや血液型なんです。 では、「〜のはNだ」と「〜のがNだ」はどこが違うのでしょうか。よくわ からないのですが、一つ言えることは、「〜のは」のほうは、主題文であり、 「〜は」は主題であるのですから、その部分についてあとの部分が解説になっ ているということです。  例えば、「ここで問題にされたのは」と言うと、文脈の中で、何かが問題に なっていて、それの答えをこの文で述べる、という形です。「ちょうどそこへ 来たのは」の例でも、「皆が松井さんの話をしているところへ誰かが来た。そ れは松井さんだった。」ということです。  それに対して、「〜のが」の文では、「〜の」の部分は主題ではありません。 これは、形容詞文の現象文に近いものと考えられます。つまり、全体が文脈に 新しく導入されたことがらです。その点では、「元の文」と同じですが、なお その上に、「Nだ」の部分に焦点を当てている文です。  とは言ってみても、次の3つの文の使い分けを学習者にわかりやすく説明す るのはかなり難しいことです。      彼の童話はどれも有名だが、この話は特に有名だ。      彼の童話はどれも有名だが、特に有名なのはこの話だ。 彼の童話はどれも有名だが、特に有名なのがこの話だ。  


[参考文献] 益岡隆志・田窪行則 1992『基礎日本語文法 改訂版』くろしお出版  寺村秀夫 1981『日本語の文法(下)』国立国語研究所        益岡隆志 1997『複文』くろしお出版  野田尚史(1996)『新日本文法選書1 はとが』くろしお出版 近藤純子2000「複合辞「ところを」についての論考」『日本語教育』103 大島資生1996「補文構造にあらわれる「こと」と「の」について」『東京大学留学生センター紀要第6号』 加藤理恵1998「「〜ところを〜する」という構文の意味記述『ことばの科学』11名古屋大学言語文化部 鎌田倫子1998「内容節をとる動詞のコトとノの選択規則−主動詞の意味分類と節の時制から−」『日本語教育』98 工藤真由美1985「ノ、コトの使い分けと動詞の種類」『国文学 解釈と鑑賞』50.3 近藤泰弘1997「「の」「こと」による名詞節の性質−能格性の観点から−」『国語学』190 高橋太郎1996「「〜というもの」「〜ということ」「というの」」『立正大学人文科学研究所年報』34 田中寛2000「「こと」、「の」節をうける形容詞述語文」『語学教育研究論叢』17大東文化大学 野田春美1995「ノとコト」宮島他編『類義下』くろしお出版 橋本修1990「補文標識「の」「こと」の分布に関わる意味規則」『国語学』163 橋本修1994「「の」補文の統語的・意味的性質」『文藝言語研究言語篇』25筑波大学 備前徹1983「名詞述語文の補文の構造」『日本語教育』51 備前徹1986「名詞述語文における「の」と「こと」『東海大学紀要 留学性教育センター』7 備前徹1989「「〜ことだ」の名詞述語文に関する一考察」『滋賀大学教育学部紀要人文化学・社会科学・教育科学』39 野田時寛1997「複文研究メモ(1)−連体節・名詞節と名詞−」『人文研紀要』27中央大学 天野みどり(1995a)「「が」による倒置指定文−「特におすすめなのがこれです」という文について−」『人文科学研究』八十八輯 新潟大学 天野みどり(1995b)「後項焦点の「AがBだ」文」『人文科学研究』八十九輯 新潟大学 熊本千明(1989)「指定と同定−「・・・のが・・・だ」の解釈をめぐって−」『英語学の視点』九州大学出版会 新屋映子(1994)「意味構造から見た平叙文分類の試み」『日本語学科年報15』東京外語大 砂川有里子(1995)「日本語における分裂文の機能と語順の原理」『複文の研究(下)』くろしお出版 砂川有里子(1996)「日本語コピュラ文の談話機能と語順の原理−「AがBだ」と「AのがBだ」構文をめぐって−」『文藝言語研究 言語篇』30 筑波大学 渡辺真一郎(1979)「日本語の分裂文について」『英語と日本語と』くろしお出版